民法現代語化 研究会案と異なる条文/民法第709条

民法現代語化

研究会案と異なる条文/民法第709条

2007年12月14日 

総説

民法の現代語化の研究会案では、「故意又は過失によって他人の保護されるべき利益」とされていたものが、改正施行された民法では「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益」と変更がなされた。本稿では、その過程を追うことを目的とする。


旧第709条 
故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス
研究会第1次案(判例・学説による改正案)
第709条
故意又は過失によって他人の利益を侵害いた者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。ただし、その利益が法律上保護されるべきものでないときは、この限りでない。

研究会案第2次案(判例・学説による改正案)
第709条
故意又は過失によって他人の保護されるべき利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
パブリックコメント
第709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。
現代語化後 民法第709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

民法第709条不法行為

旧709条の不法行為の文理上の成立要件は、①責任能力がある者(712条が責任能力がない者については、賠償責任を負わないとしているから)、②故意又は過失によって、③他人の権利を侵害し、④それによって損害が発生したこと、であり、改正過程では、③の「権利」の語が特に問題となっている。

709条の「権利」について

709条の「権利」の意味については、判例・学説ともに変遷がある。民法典が制定された当初は、既にある法律において権利と認められたものを侵害しなければ成立しないとして、浪曲のレコードが無断で複製された雲右衛門事件(大判大正3・7・4刑録20‐1360)においても、浪曲を著作権があるとはいえず、他に取締法もないとして不法行為の成立を否定した。

だが、大審院は、いわゆる「大学湯事件」で方向転換を図る。建物を賃借して「大学湯」という湯屋業を営んでいたXが、賃貸借終了時にはXがその老舗を買取るか任意にこれを売却することができる旨の特約がY1との間でなされていた。ところが、Y1は、賃貸借契約が合意解除されるとY2に賃貸しY2が同じ「大学湯」という名称で湯屋業を営んだため、Xは老舗を喪失してしまった事件である。大審院は、侵害の対象は、「地上権、債権、無体財産権、名誉権等所謂一の具体的権利なることあるべく、或いは此と同一程度の厳密なる意味に於ては未だ目するに権利を以ってすべからざるも、而(しか)も法律上保護せらるる一の利益あるべく」(大判大正14・11・28民集4-670)として、具体的な権利となっていないものも保護されることを示し、これを「法律上保護される利益」と今日では捉えられている。

違法性論

学説は、この判例を受けて、末川博士が権利たるものはその内容が法律秩序の内容として認められているものであるから、その侵害は法律秩序を破ることであり、それ自体が違法となり、したがって、たとえ権利侵害はなくとも加害行為が違法と評価されるものである以上、不法行為の成立は認められるべきである。すなわち、不法行為の本質的な要件は、「権利侵害」を「違法な行為」=「違法性」であるとする読み替える考えが有力な支持を得ることとなった。

しかし、権利侵害を違法性に読み替えた場合に、どのような場合に違法性があるとするのかという問題があった。

相関関係説(相関的判断説)

前述の問題にこたえたのが我妻博士であった。我妻博士は、不法行為の要件は権利侵害ではなく加害行為の違法性であり、違法性の有無は、侵害された利益の種類と侵害行為の態様を相関的に判断すべきであると主張された。

相関関係説は、侵害された利益(被侵害利益)の性質と侵害する行為の態様の両面から相関的に判断する。すなわち、侵害された利益についての違法性の強弱と加害行為の態様における違法性の強弱が、相関的、総合的に斟酌されて、不法行為の要件としての違法性の有無が判断される。その際の侵害された利益の種類としては、物権、人格権、債権などが観念され、また、加害行為の態様としては、刑罰法規違反、禁止法規または取締法規違反、公序良俗違反を観念として決定されるべきものであると説くものである。

この違法性説と相関関係説の下では、違法性要件と故意・過失要件の二元的な構成をとる。

だが、この相関関係説には、違法性の判断において主観的要素が入らざるを得ず、違法性の判断と故意・過失という主観的要件が、両者において「主観」という面がオーバーラップするという問題がある。

また、相関関係説では、権利侵害がなくても不法行為責任を発生させる一方で、権利侵害があっても不法行為とならない場合が認められ得ることから、侵害された利益が「権利」であるかどうかは決定的な要件ではなくなっていくことになる。それに代わり、加害者の法的に遵守することが要求される注意義務に違反する事実があったか否か、あるいは、加害者の行為態様が法的注意義務違反と評価されるかどうかが問題として取上げられてくるようになった。

一元説

一元説は、権利侵害(違法性)要件と、故意・過失の2つの要件を統合すべきないしは故意・過失のみに着眼した主張である。

新過失論(過失一元説)

新過失論は、違法性要件を否定し、判例における違法性概念の無機能を指摘して、これを過失の判断要素の中で論じる。①加害者の行為から生ずる損害の危険の程度ないし蓋然性の大きさ、②侵害された利益の大きさ、③損害(結果)回避義務を負わせることによって犠牲にされる利益の3つの因子を前提に、①の因子と②の因子の相関判断が必要となり、さらに場合によっては、このことと③の因子の利益衡量が必要とするもので、過失は、単なる心理状態ないし主観的要件ではなく、不法行為が成立したかどうかという判断一般を含む高度に法的かつ規範的な概念に転化するものである。

新違法説(違法性一元説)

新違法説は、違法性要件への一元化をはかる説である。過失を結果回避のための行為義務を尽くさなかったことと規定し、社会生活をする場合に、被害者の側から見れば、加害者が当該状況下においては、通常の平均人と同じ行為をしてくれるという期待信頼がなければ、生活は成り立たないという「信頼原則」の考えの下で、客観的注意義務違反としての帰責に根拠を求め、結果回避のための注意義務違反は有責性の問題ではなく、違法性の問題として捉えるものである。

以上の大まかな学説の流れがある中で(学説は混沌としている)、研究会では次のような議論がなされた。

研究会における709条の審議過程

研究会では、現代語化における第709条の「判例・学説による改正案」の第1次案として、「故意又は過失によって他人の利益を侵害いた者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。ただし、その利益が法律上保護されるべきものでないときは、この限りでない。」という案が提示されている。

研究員の「判例・学説による改正案」の説明では、「本条の権利が、法律上保護されるべき他人の利益を意味することは、判例、学説上、承認されており、この点を改正すべきことに問題はない。起草者も、『権利』を、制定法上認められたものに限っていたわけではない。しかし、本条の文言を重視した結果、雲右衛門事件判決のように、本条の『権利』を狭く解した判決が過去に出されたことをみても(大学湯事件で変更されたが)、この点の改正は必要である」と説明している。

他方で、「違法性を本条の要件とする見解は、学説上も必ずしも有力でな」いとしていること、および、現代語化研究会に携わった大塚教授は、「『研究会案』においては、本条の改正案は、大学湯事件判決を下敷きにしたもので」、「一元説は採用しない趣旨であった」1)と述べられていることから、違法性説と一元説を排除し作成された条文であることが伺われる。

そして、「違法性の語のもとで扱われて来た内容は、一部は『法律上保護される利益』、一部は行為義務違反の問題として『過失』の問題として扱えば足りる」として、旧709条の「権利」の語を外すという説明文が作成された。

第8回の研究会の席上において(おそらくは前述の説明文を用いて)、「『権利』を、『保護されるべき利益』、あるいは『保護されるべきの利益』の言い換えるするかという問題がある。それに付随して、『法律上』という言葉を付け加えて、『法律上保護されるべき利益』、あるいは『保護されるべき法律上の利益』とするかということも問題となる」として、709条から「権利」の語を外す提案がなされた。

そして、「『権利』を『保護されるべき利益』と置き換えるのは、既にコンセンサスがあるということでよいであろう」ということで、この案を採用することになった。

第二次案では、用語の修正がされた「故意又は過失によって他人の保護されるべき利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する」が第16回研究会(全体会)に提示され、「709条の判例・学説による改正案Aは、侵害の対象を「権利」から『保護されるべき利益』とすることに異論はなく、これを採用する」として、第二次案が採用されるに至り、研究会案がまとめられた「民法典現代語化案」でも「判例・学説による改正案」として載せられている。

ところが、パブリックコメントの公表の段階になって出された709条の改正案は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる」という「権利」の語が用いられた案に変更された。

法務省民事局参事官が著した『改正民法の解説』によれば、大学湯事件を「通説として確立した解釈となっている。そこで、この点を明示したものである」として示している。研究会案と異なった点については不明であるが、「類似の内容を規定した立法例(知的財産基本法(平成14年法律第122号)第2条2項)等を参考にしつつ、旧法の文言との連続性にも配慮した表現を採用した」とされる。

そして、今回の改正では、「被侵害利益を成立要件の一つに掲げている旧第709条の基本構造を改めることなく、実質的規範を条文に反映させるという目的の下、『法律上保護される利益』という文言を加えた」ものであると説明されている。

なお、研究会では、「法律上保護されるべき利益」とするか、単に「保護されるべき利益」とするかについて議論されている。だが、「権利」の語が残されたため、重要度のある議論ではなくなってしまっている。

今回の改正における学説の見解

今回の改正によって学説は、従来の判例や学説の成果は生かされつつも、この改正によって、民法の解釈の重要性がより増したと見る見解が多いようであるが、「『確立された通説との整合性を図る』ものということは難しいように思われる」2)という意見や、「本条の従来の学説との関係についてもう少し仔細に検討すべきでなかったか」3)という意見もある。

ちなみにパブリックコメントの『民法現代語化案補足説明』で、「確立された判例・通説の解釈との整合を図るための条文の改正」として、変更点がないことを強調されているが、単にパブリックコメント(国民からの法改正の意見募集)の一部であって法律の条文ではないので、この点をもって、従来の解釈を維持すればよいという理由にはならず、条文の文言が尊重されることになろう。

1) 大塚直「民法709条の現代語化と権利侵害論に関する覚書」判例タイムズ1186号(2005年)18頁

2) 道垣内弘人「民法709条の現代語化と要件論」法学教室No.291(2004年)59頁

3) 前掲大塚21頁

参考文献
吉村良一『不法行為〔第3版〕』(有斐閣、2005年)
中井美雄ほか『不法行為(事務管理・不当利得)』(法律文化社、1993年)
潮見佳男『不法行為法』(信山社、1999年)
加藤雅信『事務管理・不当利得・不法行為(第2版)』(有斐閣、平成17年)
我妻栄・有泉亨・清水誠『コンメンタール民法Ⅳ事務管理・不当利得・不法行為』(日本評論社、1998年)

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